2018年6月29日 (金)

難病 「サルコイドーシス」

難病 「サルコイドーシス」 を、ご存知ですか?         

厚労省が指定する難治性疾患(難病)は、現在“100種ほど”あります。  スモン病・ベーチェット病・重症筋無力症・パーキンソン病・・・ 発症原因が不明で治療法が確立されていない事から、医学的な研究が急がれます。  医療研究の妨げは、難病の患者数が極めて少なく、患者の把握や追跡調査が難しい所にある様です。  また 少数の患者を対象に、巨額の研究費を使う事が出来ない(少数の患者を切り捨てられない)研究者側のジレンマもあると聞いています。  

それらの難病の中に、“サルコイドーシス”があります。  どんな病気と言うと、「肉の様な(肉芽腫)が、全身の至るところで増殖し患部を侵す病気」、目・皮膚・末梢神経・筋肉・心臓・肝臓・腎臓・・・ ガンの様に転移・増殖しますが、悪性の腫瘍でないのが救いです。  ただし 心臓で増殖すると、心不全や心筋梗塞を起こし、死に至るケースもある様です。  この病気は、100年以上前から知られていましたが、症例が少なく重症でなければ気が付かず、見逃される場合が多い様です。  例え 医者でも、簡単な検査では分からない病気です。  それ故に 特定疾患として、重症患者に対し国が医療費助成を行っています。

実は私、“サルコイドーシス”の患者です。  20代で“皮膚サルコイドーシス”を発症し、長い間 治療を続けて来ました。  40年以上 転移が無かったものの、今になって心臓に転移してしまいました。  症状は“疲労感”と“息切れ”でした。  多分、長年の喫煙が原因で“PTSD(肺の病気)”を発症したのではと、自己診断しましたが大きな間違いでした。  歩くのも辛くなり病院へ駆け込むと、「心臓が“30%”しか機能していません」と 医者に診断され、即日 入院治療を強要されました。  “CT”・“MR I”・“PET検”・・・ 様々な検査の結果、“心臓サルコイドーシス”と確定診断され、1ヶ月の入院治療を課せられました。  ただし、国が認定する特定疾患には該当しません。  入院時は重症であっても、療養と対症療法のお蔭で退院時は、ほぼ健康体に戻っていました。  サルコイドーシスは、不思議で厄介な病気です。  発症原因も分からず、治療法も確立されていないのが実情です。  私自身 医療研究の実験台に上がる意思があっても、一度 回復した症状を再現する事は出来ません。  何ヶ月・何年後に再発するか予想するのも不可能です。  それ故、難病・奇病なのでしょうか?  取り敢えず、危険な“心臓サルコイドーシス”の危機は免れました!

サルコイドーシスは、世界中に患者が分布する難病です。  10万人に 1~2人の確率で発症する病気で(喘息患者は10万人に 3000人ほど)、発症年代は 20~50代が多い様です。  男女比は、やや女性が多く、北海道など南国より寒冷地に患者が多いと言われています。

 

2018年4月16日 (月)

テレビ版 『蒲田行進曲』

1982年に放映された角川映画・『蒲田行進曲』は、大々的に宣伝・製作されましたので 観た方も多いと思います。  主演(銀次郎):風間 杜夫 脇役(ヤス):平田 満 ヒロイン(小雪):松坂 慶子・・・、舞台劇・新撰組の製作過程に纏わる人間ドラマをパロディ化した “悲劇”とも“喜劇”とも言える映画でした。  やはり、脚本:つか こうへい 監督:深作 欣二 となれば、平凡なストーリーであっても 面白・可笑しく仕上がると感心しました。
 
映画・『蒲田行進曲』が上映されて一年後、TBS系で二週に渡り同題名のテレビドラマが放送されました。  「低予算で造られたテレビ放送が、映画より面白い筈がない」、そんな感覚でテレビを観て驚きました。  『蒲田行進曲』が、映画以上 リアルに仕上がっていたのです。  主演「沖 雅也」 陰のある二枚目役(銀次郎)が、「風間 杜夫」より数段 勝っていました!  何より、演技が素晴らしかった!  何故か?  テレビ版・『蒲田行進曲』が、「沖 雅也」の遺作だったからです!
 
一週目のテレビ放送の後、「沖 雅也」(31歳)は“京王プラザホテル”47階から、投身自殺したのです。  不可解な“死”でした!  テレビ版・『蒲田行進曲』で最高の演技をした役者が、どうして自殺の道を選択しなければならなかったのか?  当時、様々な“デマ”や“憶測”が飛び交っていました。  結論は、精神病である“うつ病”だったからです!  大勢で芝居をする昼の顔と、一人孤独をさ迷う夜の顔と、全く別人だったと思います。  演技が上手くゆけばゆく程、孤独感が倍増する“ジレンマ”が、咄嗟に彼の異常行動に繋がったのでしょう?  惜しむかは、彼に行動を見守る人間(連れ合い)が居なかった事と、適切な治療(投薬)が成されていなかった事です。  そして、俳優「沖 雅也」は死んだ!
 
もう一度、テレビ版・『蒲田行進曲』に戻ります。  「沖 雅也」の病気とは別に、このテレビドラマは素晴らしかった。  やっと芝居の主役を貰った「銀次郎」は、内縁の妻「小雪」:大原 麗子を、子供を宿していながら脇役「ヤス」:柄本 明に、無理やり押し付けます。  「銀次郎」を慕う「ヤス」は、喜んで「小雪」とお腹の子を引き受けます。  それから、「ヤス」の運命は悲惨だ状態に陥るのでした。  生まれて来る子供を養う金を稼ぐ為、命懸けのスタントを続ける事になりました。  舞台・新撰組のクライマックス「大階段落ち」を 自ら志願した「ヤス」は、大怪我を負い生死をさ迷います。  それを知った「銀次郎」は、己を恥じて改心するのが、ドラマの“おち”でした。  ストーリーは、至って単純です。  しかし テレビ版・『蒲田行進曲』は、「沖」が自殺を意識したか否か分かりませんが、彼の演技は悲壮感さえ漂うものでした。  脇役の「ヤス」も ヒロインの「小雪」も、映画とテレビの境を越え 全てにおいて素晴らしかった。(自己満足)  
 
機会があれば、是非ともテレビ版・『蒲田行進曲』を観たいと願っています!
 
 
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2018年4月 4日 (水)

画家 『 岡 靖知 』

若くして実力ある 画家、『 岡 靖知 』の作品を10点紹介します。  日本において 芸術の評価は、決して高くありません。  ルノアール&ゴッホ~葛飾北斎&横山大観・・・、過去の有名画家を認知しても、現在活躍する芸術家に興味は薄い様です。  そこが、問題です。  将来、名を馳せるであろう画家が育ちません。  私は、この様に考えます。  家電や家具を買う感覚で、絵画を心の糧として部屋に飾り、若き画家に先行投資しては如何でしょうか?  これ程、安全・安心な投資はありません!  彼の作品(写実画)を、是非ご覧ください。  要望すれば、貴方が愛する奥さんやお子さん&ご両親や恩人の肖像画を、気安く・お安く 描いてくれると思います。            
 
             annoy 写真をクリックの上、拡大してご覧ください。
 
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今回は、『岡 靖知さん』の承諾を得て10作品を、ランダムに紹介しました。  出来れば、原寸に添った画像をと思いましたが、パソコンでは無理があります。  機会があれば、展示会等で本物の写実画をご覧ください。 
 
“フェイスブック”で知り合った『岡 靖知さん』の誠意により、当ブログに写実絵画の掲載を許可して頂きました。  その時点で、彼の実力を“新進気鋭”の画家と認識していましたが、私の認識が甘すぎました。  既に、日本を代表する“芸術家”だったのです!  『岡 靖知さん』の優しい対応に、感謝する以上 強縮した次第です。 

2018年4月 3日 (火)

“サッチョン”は方言?

平昌オリンピック・パラリンピックは、日本選手の過去最多メダル獲得と、大盛況のまま無事終了しました。  フィギュアスケート・スピードスケート・ジャンプ・・・、手に汗握るシーンが目白押しで楽しめました。  競技とは直接 関係ありませんが、選手の掛け声で印象に残るフレーズがありました。  女子カーリングの競技中、選手が発した「そだね~」が、北海道弁だと言うのです?  しかし 道南の我々は、使った記憶がありません!  例え 女言葉にしても、聞いた事がないのです。  確か子供の頃は、東北弁の「そうだべそうだべさ」を使っていたと思います。(道南の話です)  

サッチョン”は、ある時期限定の北海道弁だと思います。  戦後 朝鮮戦争の特需で日本が経済成長する中、立ち遅れた北海道に中央(主に東京)から 官庁や企業の要人が出向し、国家レベルの地域興しが行われた時期がありました。  多くの要人は、期間限定の単身赴任だった様です。  彼等を 敬意をこめ、道民は“サッチョン”と呼んでいたそうです。  大都会から、開発の遅れた“札幌”に出向するのですから、いわゆる左遷されたと泣き泣き来道したのは理解できます。(僻地に飛ばされた)  そんな彼等が 北海道(主に札幌)の環境に慣れ、やがて中央からお呼びが掛かると“サッチョン”は、再び泣いたと言います。  今度は、帰りたくないと。(経済戦争の最前線に戻りたくない)  それを“サッチョンは二度泣く”と、言った様です!

確か、昭和30年~50年の事だと思います。  その頃から、札幌・特に“薄野(すすきの)”の夜は楽しかった。  酒も肴も、美味かった。  家庭からの束縛もなく、交際費で飲み・食べ放題なら、“サッチョン族”の天国だったと思います?  それから半世紀、札幌は“200万”都市になりました!  しかし 北海道経済は、現在 50年前に戻りつつ疲弊の道を辿っています。  思えば 日本全体の経済成長が、右肩上がりを忘れてしまっている様です!  何等かの“カンフル剤”が必要です?  ただし、医者が処方する“お薬”では埒が明きません!  “企業戦士”すなわち“旧・サッチョン族”を、再び地方に派遣し“一極集中”を阻む事です。

Youteia                   最低気温を記録した道南の“喜茂別町”

2018年3月27日 (火)

“青函連絡船”の思い出

・・・ 津軽海峡・冬景色 ・・・    歌手:石川さゆり

上野発の夜行列車おりた時から  青森駅は雪の中

北へ帰る人の群れは誰も無口で  海鳴りだけを聞いている

私もひとり連絡船に乗り  凍えそうなカモメ見つめ泣いていました

あああ あ~  津軽海峡・冬景色

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東北本線&奥羽本線の下り終点“青森駅”と、函館本線の上り始発“函館駅”を結ぶ青函連絡船は、1988年に役目を終えて廃止になっています。  当時、世界最長の青函トンネル(約54㎞)が出来たからです。  北海道と本州が線路で繋がるのは人々の悲願でしたので、青函連絡船の終航は致し方の無い事です。  しかし、便利とは言えない列車&連絡船の旅は、ドラマに似た儚い思い出あるものです!  特に、狭い列車から解放されデッキで潮風を浴びると、身も心も最高の気持ちでした。  良い事も悪い事も、全てが思い出です!  

確か私は、10回(5往復)ほど連絡船に乗ったと思います。  最大の問題は、時間が掛かる事です。  本来 青森と函館は、最短距離で30kmしかありません。  青函連絡船の航路は、両港まで総延長113kmと長過ぎました。  津軽海峡を渡る時間より、陸地に沿って走る時間が、遥かに長かったのです。   80年(1908~1998年)の長きを、暫定的に運用したのが真実です。  また、巨大な列車(SLが主)を青函連絡船に、積み下ろしするのも時間が必要でした。  1日に十数本、青函連絡船を担当する国鉄マン(現・JR職員)は、仕事とはいえ大変だったと思います。  僅か30kmを移動するのに、約6時間 今では考えられない“タイムロス”でした!

私が“青函連絡船”を最後に利用したのは、1970年代前半だったと思います。  急用で東京へ行ったものの、帰りは年末で列車の予約が困難でした。  止む無く、各駅停車の在来線に乗ったのが、悪夢の始まりでした。  SL(蒸気機関車)で遅いのは当然ですが、搭乗客は優に“500%”を越えていました。  荷物を抱えた乗客が、客室に押し込まれたのですから、状況は想像できると思います。(現在の満員電車の比ではありません)  上野駅~青森駅まで14時間、何人も具合が悪くなり途中下車したか分かりません。  若かった私は、辛うじて苦難を乗り越える事が出来ましたが、こんな地獄の様な経験は二度としたく無いと思った次第です。  青森駅に到着し、青函連絡船に乗って6時間は天国でた。  連絡船のデッキに立って、冷たい潮風を受けた時、身も心も生き返る思いでした。  函館へ着き 再びSLに乗って4時間、24時間の旅は終わりました。  それ以降、“青函連絡船”も“国鉄”(現・JR)も利用していません。  既に、航空機が有ったのですから!          

Photo                    在りし日の“青函連絡船”

2018年3月15日 (木)

画家 「セルジュ・マーシェニコフ」

ロシアの新進画家「セルジュ・マーシェニコフ」の作品を紹介します。  1971年生まれですから、現在 46歳(画家としては若手)だと思います。  彼は、自分の絵画をツイッターで公開し、世界中から大きな反響を受けています。  芸術とは何か?  観る側が感動する事です!  「写真の様で写真でない」 そうです。  努力と感性で、写真と見違える絵画が出来るのです。  ただし 素質が無ければ、ただの似顔絵です。  画家「マーシェニコフ」は、いわゆる天才肌です。  年を重ねる程に、完成度が一層 高まると思います。
 
              annoy 写真をクリックすると、絵画が拡大します。 

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他にも作品を観る事が出来ます。 入場は、こちらから。  

2018年3月11日 (日)

肖像画家 「浅野 勉」

2月26日、友人で肖像画家の「鈴木 博詞」をサポートする“Facebook”を始めました。  編集過程で「友達になって下さい」と、数人にリクエストする必要がありました。  勿論、ランダム(適当に)でした。  その中で、真っ先に承認して貰ったのが「浅野 勉さん」でした。  偶然でしたが、友人「鈴木 博詞」と友達関係でした。  「浅野さん」は、「鈴木」と同業でライバルの“肖像画家”だったのです。  その後「友達の友達は友達」として、情報交換しています。  今回「浅野さん」の許可を受け、数点・作品を紹介いたします。

                “フェースブック”の入場は、こちらから

              annoy 写真をクリックすると、画像が拡大します

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Asano8                   「浅野 勉」作 “バレリーナ”  

「浅野 勉さん」は、毎年“全日肖展”に作品を出展し、上位入選を続ける実力ある“画家”です。  嬉しい事に 友人「鈴木 博詞」と、ライバルであって仲がいいのです。(お互いに力を認め合っている)  北海道と埼玉県と離れていても、良好な関係でいて欲しく思います。  私の希望ですが、来年以降の“全日肖展”の出展作品を、“一人のモデル”にして筆を競い合うのは如何でしょうか?  作品名とモデルの服装は、多少の違いがあった方がいいと思います。  こんな趣向は、過去に無かった筈です。  きっと、閲覧者も審査員も驚くと想像します!  

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Asano3                   「浅野 勉」作 “双子の姉妹”  

Asano1_2                  「浅野 勉」作 “故郷・福島の風景” 

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「浅野 勉さん」は“肖像画”&“写実画”で、様々な作品を発表しています。  今後の活躍を、心よりお祈り致します。

 * 肖像画家「鈴木博詞」の入場は、こちらから

2018年3月 4日 (日)

“北前船”の謎

北海道は、“昆布”の産地です。  と言うより、世界的に昆布の採れる地域は、北海道に限られている様です。  その中でも、“利尻昆布”や“羅臼昆布”が有名です。  昔から 道民は、地産地消を心掛け 質の劣る(二級品)を食べていたと思います。  一体、高級昆布は何処へ運ばれるのか?  “出汁文化”が根付く“京都”や“大阪”は、昆布の消費が多いのは分かっていましたが、江戸時代に“琉球(現・沖縄)”や“中華人民共和国”まで、密かに運ばれていたのは“謎”でした!

今年で、“北海道開拓(侵略?)・150年”になります。  しかし 関西の出汁文化は、5~600年になると言われます。(計算が合わない?)  そこには、“北前船”の存在があります。  徳川幕府が、“鎖国政策”を取っていたにも拘らず、長崎や横浜に“出島”を設け“欧米”との貿易は、半ば黙認されていた様です。  そんな中、“近江商人”が主導する“北前船”は、果たして正当な貿易だったのか?  「士農工商」の中で、身分が低いとされる商人による“密貿易”ではなかったのか?  そんな疑問が、湧いてきます!  何故なら、「近江商人が通った後は“ぺんぺん草”も生えない・・・」 要するに、取引が強引だったのは通説です。  特に、アイヌ人との商談は“あくどかった”と思います。  当時の物々交換では、数を誤魔化し「始め・1・2・3・4・5・終わり」で、常にプラス 2 を騙し取っていた様です。  そんな事で 北前船は、蝦夷地(現・北海道)交易で莫大な利益を得たのは確かです!

北前船のルートは、蝦夷地(北海道)から日本海経由で、関門海峡~瀬戸内海を通り、大阪まで至る海の道でした。  勿論、沖縄県や中華人民共和国に 物資を運ぶルートは無かった筈です。  その運搬を可能にしたのは、当時“漢方薬”で中国と交流のあった“越中富山の薬売り”でした。  北前船を造り、密かに薩摩藩・琉球・中国と貿易していた様です。  財政難だった薩摩藩は、この密貿易(昆布・乾燥アワビ&ナマコ)で、瞬く間に再建したそうです。  後に、徳川幕府転覆計画(倒幕)の資金源になったのは、明らかです。  薩摩藩(島津家)の「西郷 隆盛」や「大久保 利通」、結果的にアイヌ人を利用し蝦夷地を侵略する切っ掛けになったとすれば、明治維新の想いは複雑です! 

蝦夷地の“アイヌ人”と“和人(日本人)”の交易は、縄文弥生時代に遡るのは確かです。  北前船が無い時代でも、津軽海峡を小型舟で渡るのは可能です。  元々 アイヌ人と和人は、長い間“共存共栄”の関係があった筈です。  その証拠は、日本犬です。  縄文時代 蝦夷に運ばれ、アイヌ犬として大切に育てられたのです。(日本犬で、純粋に血統を守り続けたのは“アイヌ犬”だけです)  それを、明治時代に北海道犬と改名したのは、軍国主義下の悪しき驕りでは無いでしょうか?      

C                 写真は、室蘭港に出入りする船舶です。

 

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2018年2月24日 (土)

友人がテレビ出演

本日(2月24日)、日本テレビ系 STV AM:9:25~9:55「見たい 知りたい 北海道 」に、肖像画家である友人・鈴木 博詞 が、メインとして出演しました。  サブタイトルが、「なぜ似ている?清宮像」でしたので、札幌雪祭り・市民雪像の製作に10年以上参加しているチーム・“きたきつね”に関するグループの特集かと思っていました。  しかし 番組の内容は、友人の粘土像(雪像の16分の1)製作から始まり、画家としての活動を紹介するものでした。  過去に製作した粘土像が20体ほど、中でも昨年のApple-Pen“ピコ太郎”像や女子サッカー“澤 ほまれ”像が圧巻でした。(私も彼のマンションで実物を拝見し、小さな銅像と感じた次第です)  肖像画の美人モデルが、テレビ出演したのも驚きでした。  まるで番組全体が、「鈴木 博詞」の“芸術特集”の様でした。  白い無精髭が目立つ中高年ですが、自然な立ち振る舞いで違和感なく観る事が出来ました。  後半の雪像製作も、チームリーダーとして目立たず“清宮像”の仕上げをする“ひたむきな様子”が、彼らしく好感が持てました。(判官びいき?)
 
なお、YouTubeで「見たい 知りたい 北海道」を検索すると、動画が観られると思います。  ただし、現在はアップされていません。(少々お待ち下さい)
 
当ブログ、肖像画家「鈴木 博詞」も 是非ご覧下さい。  
 
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                 札幌雪祭り・市民雪像(きたきつね作)
 
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                    清宮像の設計図(側面)
 
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                    清宮像の設計図(正面)
 
「鈴木 博詞」をサポートする“フェースブック”を始めました。 ご入場は、こちらから

2018年2月21日 (水)

“ソフトバンク”の 「お父さん」

“ソフトバンク・モバイル” のコマーシャルでお馴染み「お父さん」・北海道犬の「カイ君」が、約十年 人間を模して好演して来ましたが、老齢の為か 昨年頃からテレビの出番がめっきり減っています。(お疲れ様でした)  現在は、「カイ君」に換わり 息子の「海斗君」が、代役としてCMに出演していますが、先代の「お父さん」に比べ 演技に格段の差がある様です。  単に、若いとか経験不足だけでは無いと思います。  「カイ君」の丸顔 VS「海斗君」の三角顔。  おそらく、性格が違うと思います?  例えば、“北海道犬”と“アイヌ犬”の違い!(“優しい”に対して“勇敢”)  今思えば、「カイ君」は天才犬でした。  果たして、二代目は初代を越える事が出来るか?  難題ですが、今後の「海斗君」に期待します!  

ところで「お父さん」の声は、誰が吹き替えているか ご存知でしょうか?  十年以上、テレビから音声が流れているのですから、ご察しと思います。  俳優の「北大路 欣也」です!  日本で一番、元気な“タレント”だと思います。  映画俳優・テレビタレント・声優・プロジューサー・タレントの育成・・・ 若々しく見えますが、今年 75歳ですから驚きです!

「北大路 欣也」について一言。  父親は、京都(太秦)で活躍した時代劇俳優・「市川 右太衛門」と言う大スターでした。  芸名「北大路」は、出身(京都)の地名が由来の様です。  実は私、“お父さん”のファンでした。  「北大路」より八歳 年下ですが、父親「市川 右太衛門」の映画「旗本退屈男」が大好きでした。  眉間に刀傷・旅姿の一匹狼「早乙女 主水之介」が、日本一強い“侍”だと思っていました。(年代の計算が合わない?)  私が子供の頃、映画ブームでした。  父親や叔父と同伴し、週に二度ほど近くの映画館に通ったものです。  昭和30年代でしたので、時代劇が上映の中心でした。  そこで観た「市川 右太衛門」が、私にとって“ヒーロー”だったのです!  

“ソフトバンク・モバイル”の“お父さん”「カイ君」と「海斗君」、日本屈指の俳優「市川 右太衛門」と「北大路 欣也」、可笑しな比較になりました。  世の中から支持を受けると言う事は、血統でも血縁でも無いと思います?  本人の努力や運(時流)が、必要不可欠です!      

Img_688712                      札幌雪祭り・市民雪像

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